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STEP(第208号)

第20回総会報告:環境保全への決意を新たに!

フォレストベンチ研究会 会長 村沢義久

今年は長梅雨でしたね。この稿が皆様のお手元に届くころには夏らしくなっていることを願っています。最初に総会の報告をし、その後で私からの特別報告をします。

総会の報告

6月19日、都道府県会館にて令和元年度(第20回)定時総会が開かれました。平成30年度事業報告の後、以下の3つの議案について説明がなされ、全て承認されました:

第1号議案 平成30年度収支報告

第2号議案 令和元年度事業計画(案)

第3号議案 令和元年度予算(案)

続いて恒例の講話・報告がありました。概要は以下の通りです。

畠山重篤様(NPO法人・森は海の恋人理事長):「変わりゆく海辺とこれからの暮らし」。畠山氏は、最近「牡蠣の森と生きる」(中央公論社)を上梓されました。

日置道隆様(輪王寺住職):「津波対策は巨大防潮堤によって万全になるか?」。小動物や鳥たちが生育し、多様で自然循環ができている森のお話が印象的でした。

村井俊治顧問(東京大学名誉教授、㈱地震科学探査機構会長):「巨大地震予知の今後とフォレストベンチ工法の役割」。これまでの理論に加えて、新たに「ミニプレート理論」などの紹介がありました。日本の地震予測の主流になる日が待たれます。

河西悦子様(桂川・相模川流域協議会代表幹事):「環境と防災は階段状森造りから」。コンクリートに代わる斜面づくりの重要性や自然河川への回帰のお話がありました。

戸村澄夫様(㈲トムラ不動産鑑定 不動産鑑定士):「自然は自給の森づくりを目指している」。戸村様は、自給シニアの会代表でもあり、長年培った人脈等を活かしてフォレストベンチ工法を社会に広げることを目指しておられます。

栗原光二様(フォレストベンチ研究会理事):「コンクリートのり面から“森と安心を育む”悠久の階段」。フォレストベンチ工法の創始者である栗原氏からコンクリートを見直すような話があり、大変印象的でした。

このあと、村井顧問から講評があり、総会は無事閉幕しました。なお、遅れて参加された森田実様(政治評論家)からは、懇親会の席で、フォレストベンチへの期待についてのお話がありました。

特別報告:一歩先を行くイタリアのEV活用

今回の講話・報告でも、地球環境を守ることの重要性が強調されました。私はフォレストベンチの工事には直接タッチしていませんが、太陽光発電と電気自動車(EV)の普及に努めており、目的は共通であると考えています。

最近は、都市部におけるEVの活用法について、各国の状況を調べているところです。その一環として、6月最終週に家族旅行を兼ねてイタリアを旅行してきましたので、今日はその話をしたいと思います。

私がEV化のモデルにしたい国は中国ですが、動きが速すぎてちょっと付いて行けません。しかし、日本の一歩先を行く程度のヨーロッパ各国からは、何かと参考になる点が多いのです。

最初の宿泊地ミラノではカーシェアリングが盛んで、EVも何割かありました。使われているのは、日本でいう「超小型モビリティ」(軽自動車より小さい1~2人乗りの車)です。

ミラノ中央駅近くにはEV専用の充電所もあり、何と15台が同時に充電できるものでした。充電中の車のうち2台は中国ZD製「E20」で、残りは全てルノーの「Twizy」でした。

中国の深センや上海では、市内を走るバスのほとんどがEVになっていますが、今回3番目に訪問したフィレンツェでも主力は電気バスです。サンタマリア教会から町の東側にあるベカリア広場まで乗ってみましたが、非常に静かでスムーズ。地元の人も、「ディーゼル車と比べて臭いがなく乗り心地もはるかに良い」と言います。

さて、日本はどうでしょうか。メーカーとして日産が世界のトップ5に食い込んで健闘していますが、EVの活用という点でまだまだ後れています。カーシェアリングはぼつぼつ普及し始めていますが、イタリアのように超小型EVを活用したいところ。バスの電動化も必要です。私の住む軽井沢でも町内循環バスが走っていますが、近いうちにEV化の提案をしようと考えているところです。

さて、最後になりましたが、最近、軽井沢の西方でフォレストベンチ工法の候補地をまた一カ所見つけましたのでその写真をシェアします。こういう不自然で醜い斜面が、自然とマッチしたフォレストベンチに代わる日が早く来ることを祈りつつ。

 

文武両道の工法

フォレストベンチ研究会 理事 畠山重篤

6月2日 第31回森は海の恋人植樹祭が開催されました。好天に恵まれ全国から1500人を超える参加者で、岩手県室根町の矢越山は賑わいました。31年間ほぼ快晴(1,2回は小雨もありましたが)で、一度も中止したことはありません。“牡蠣じいさん”の自慢です。思い返せばこのシーズン、旧暦5月の節句と重なります。子供の頃 どこ家にも“こいのぼり”が舞っていました。梅雨直前のわずかな隙間が、31年の青天を支えてくれていたのです。

第31回森は海の恋人植樹祭開会式

森は海の恋人植樹祭は平成元年のスタートです。文字通り平成と共に活動を続けてきました。昨年、8月、皇居でのお茶の会にお招きいただいた折、両陛下から、“この運動は平成を代表する運動でしたね。”とお声をかけて頂き涙しました。国家イベントである、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会にご出席の両陛下は、漁師が山に木を植えることの本質をご理解して下さっている数少ないお方です。縦割り行政のイベントは、森と海は別物という前提で開催されています。

 

平成6年、皇居にお招きをいただいた折、北海道大学教授(当時)松永勝彦先生の森と海との科学的なつながりについて、ご説明させていただく機会をいただきました。両陛下は、漁師の私の話に御関心を示されたのです。そして、その後、全国植樹祭での御言葉で、“今日、ここに木を植えることの意味は、陸側の環境保全、ということだけでなく、海の生物を育むことにもつながります”と述べられたのです。

 

時代は令和になりました。“令和にちなんだコンセプトは”と皆で考えました。そして新天皇を寿ぐという意味を込めて、“あずさ植樹祭”としたのです。と言いますのも、新天皇陛下のおしるしの木は“梓”だからです。天皇のおしるしに、なぜ梓か選ばれたのでしょうか。

 

梓は元々弓をつくる木として昔から知られています。撓りがあって折れにくいという性質は、弓の材料として最適です。奈良の正倉院に納められていることでも有名です。令和の元号の源となった万葉集にも、“あづさ”を枕詞にした歌が沢山記されています。撓りがあって、折れにくいという性質になぞらえ、強靭な心をもって、どんな困難にも負けないという願いが込められたと思います。漁師にとっても船を漕ぐ櫓の材料として、かけがえのない木です。青森県境から岩手県宮城県北にかけての太平洋岸。雪の少ない山地に生えています。岩手県の宮古港が、その集散地として有名です。梓は水に沈む沈木なのです。浮かぶ木では水を掻けないのです。万葉集を開いて新発見がありました。

 

しび突くと 海人の灯せる いさり火のほにか出ださむ 我が下思い(したもい)を

 

私の暮らす気仙沼では、昔から鮪(まぐろ)のことを”しび”と呼んでいます。鮪立(しびたち)という地名もあるのです。近くの縄文遺跡から、鮪の骨が大量に発見されました。骨の大きさから、200キロ級だと言われています。どんな漁法で獲ったのか謎でした。”しび突く”、(銛(もり)で突いたのです。)銛は鹿の角だと思われます。鮪を突く銛竿は、梓です。今でも、メカジキを突く、突きん棒漁の銛竿(そ)は梓の棒です。丈夫で、適度な重さがピッタリなのです。

 

梓には、もう一つ深い意味がありました。本を出版することを”上梓する”と言いますが、疑問がありました。上梓の梓は、字を彫る版木であることは想像できますが、あまりにも固い木なので首をかしげていました。ところが、漢和辞典を引くと、日本の梓と中国の梓は、別物であることが判明したのです。中国の梓は、皇帝の柩を造る木で、加工しやすい木なのです。もちろん版木として最適です。木の中で最も位の高い木であることを知りました。

 

版木ということは、学問、知識の木でもあります。文武両道という言葉がありますが、梓には文字通り”文武両道”という意味があったのです。

 

栗原さんと出会ったのは平成12年です。我家の庭の後と前の崖に設置されたフォレストベンチは、度重なる大雨、地震、津波に耐えて建全です。それは、梓のように撓りがあって折れない構造だからです。そして、何より“法面を森”にするというコンセプトが素晴らしいのです。文武両道の工法ではありませんか。

梓の苗を植樹する筆者

 

宮脇昭先生の復活

フォレストベンチ研究会 理事 日置道隆

平成31年4月14日(日)、神奈川県秦野市の栃窪スポーツ広場にて、「宮脇昭復活植樹祭」が催されました。宮脇先生は御年91才、横浜国立大学名誉教授であり、著名な植物生態学者です。宮脇先生は、自らの理論と植樹方式を実践すべく、国内外約1700箇所4千万本以上のふるさとの木々を市民とともに植え続けてきました。平成16年から5年間行われた輪王寺の森づくりを御指導いただき、3万2千本の土地本来の苗木を市民と共に植えました。今ではりっぱな森に囲まれたお寺になっています。4年前不幸にもご自宅で倒れられ、今現在施設にて懸命にリハビリに勤しんでおられます。この日は4年ぶりに復活された植樹祭でした。

 

当日400名以上の参加者によって3000本のふるさとの木々が植樹されました。開会式では、車いすから介護士さんの手を借りながらも立ち上がり、参加者に向かいしっかりと語られ、病と闘いながら、老骨に鞭打って懸命に私たちにメッセージを伝えてくれました。

 

「緑の植物からなる森は、生態系の中の唯一の生産者です。人間を含めた動物はすべて消費者であり、生産者の植物に酸素と栄養源を頼っています。どんなに科学・技術を発展させ、富を手に入れても、私たち人間は他の動物と同じように、緑が濃縮している森に依存しなければ生きていけません。土地本来のふるさとの木々によるふるさとの森は、私たちの生存基盤です。いのちの森づくりは、いろいろな種類の苗木を混植・密植することにより、10年から20年を経ると木々が生長し、多様性のある森になります。このような森こそが、台風地震・津波などのあらゆる災害から私たちを守ってくれます。…中略…皆さんが主役です。ともに額に汗し、大地に触れて、足元からいのちの森をつくっていきましょう。」

と呼びかけました。身体が不自由であるにもかかわらず、言葉が途切れ途切れになりながらも、時にジョークを交え必死に参加者に語りかけるお姿に、参加者全員が感銘を受け、さらに理屈だけではないなにか、そして内から沸き上がる凄まじい迫力と精神性を感じたのではないでしょうか。

植樹祭で車イスから立ち上がり、懸命に 挨拶される宮脇昭先生

潜在自然植生理論とは、植物生態学上の概念、一切の人間の干渉を停止したと仮定したとき、現状の立地気候が支持し得る植生のことを言います。1956年、ドイツの植物学者ラインホルト・チュクセンによって提唱されましたが、この概念を実際の植生回復へ応用する試みがチュクセン氏に師事した宮脇先生によって始められました。この概念からみると、もし日本に人間が住んでいなかったら、国土の98%が森になると宮脇先生はおっしゃいます。

 

つまり日本国土の自然はほとんどが森なのです。

 

永年無骨なまでに続けてこられた宮脇先生の「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」活動は、東日本大震災後に「森の防潮堤」構想へと発展しました。海岸線に被災瓦礫と土を混ぜて埋め盛土して高台をつくり、そこに土地本来の高い木から低い木までいろいろな種類の木々を植えて多層群落の森を形成し、津波から私たちの生命と心と財産を守ろうという構想です。森の防潮堤は、それ自体が丸くて柔かく湿っていて活発な生き物の塊です。地下も木々の成長と共に土壌生物や菌類が網羅され、絶えず生滅を繰り返し世代交代しながら人類生存中は存続します。生物である森の木々はしなやかさを武器に津波の力を減殺します。高台部分も生きた土にしっかりと木々の根を張り地盤が安定し、永年我々を洪水や津波などの災害から守ってくれるのです。

筆者の娘と植樹される宮脇昭先生

 

現場だより(令和元年7・8月)

 

◆今年は例年になく長梅雨で、総会のあった6月から南九州方面は厳しい豪雨に晒されました。

◆7月の初めに小休止しましたが、台風5号と相まって長崎方面が豪雨に見舞われています。

◆例年のことではありますが、豪雨が襲うのは、林地であり、被災するのは殆どが林地です。

◆土石流を対象にして開発した強靭な透水壁を直立させて豪雨による土砂の流出を止めるには、林地に多く存在する間伐材の根茎を、引張材として用いるのが名案ではないかと思い“林業防災”というコンセプトを考えてみました。

◆直径30cmの立木の根茎は索道のアンカーとして用いられる程ですから、十分な反力が得られます。

◆林業の方々に国土防災を担ってもらえば、経済的なメリットも働いてうまく融合するのではないか、と期待しています。

 

 

 

 

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