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STEP(HTML版)

STEP(第206号)

生命を育む仕事
フォレストベンチ研究会 理事 畠山重篤

平成31年3月11日 今日は8年目の東日本大震災記念日です。

朝から氷雨が降っていて心が暗くなってしまいます。被災直後は命を繋ぎ止めることに無我夢中で取り組まなければなりませんでした。でも、少し落ち着いてくると、この先どうして暮していったらいいのかという不安感が襲ってきます。

牡蠣養殖業という親父の代から70年余りも続いている家業が破滅的な被害をうけてしまったのです。
海に浮かんでいる養殖筏、作業船、加工場、冷蔵庫など、が見るも無残な形に、変わり果てています。しかし、それ等のものは長期的な返済計画を示せば、融資を受けて復活することはできるでしょう。経験的に知っていることです。

問題は、海の環境が、生き物を育む力があるかどうかです。震災直後の海辺は、生き物の姿が全く消えてしまった死の海です。ある学者は、真っ黒に濁った海を指して、毒の海と表現したのです。毒の海では生き物は生きていけません。そこで深く考えたことは、“失われた生命は金では買えない”ということです。“生命を育くむ自然”と置き換えてもいいと思います。牡蠣養殖業という仕事は文字通り、生命を育くむ仕事なのです。福島原発事故のニュースも流れてきていましたのでそのことを強く感じました。

三陸リアス式海岸(舞根湾)

しかし、5月になって、海辺で遊んでいた小学生の孫たちが知らせてくれました。“おじいちゃん、海に魚がいる”と。たしかに、小魚が群れていました。小魚がいるということは、動物プランクトン、それに続く植物プランクトンがいる、ということです。

「食物連鎖」という言葉が頭をかすめました。植物プランクトンがいる,ということは牡蠣の養殖ができるということです。牡蠣の餌そのものだからです。金では買えない、自然が残っているということです。養殖業を復活させることができるのではないか!! そんな気持ちが膨らんできました。

そんな時、京都大学名誉教授、魚類学の田中克先生から連絡がありました。「千年に一度という大津波の後の自然がどう変遷しているかを調査するチームを結成しました。準備が整い次第行きます」というのです。

田中先生は、森から海までの自然を俯瞰して研究する「森里海連環学」を提唱して設立された「京都大学フィールド科学教育研究センター」の初代センター長でした。5月に入って調査チームが舞根湾に到着しました。先ずプランクトンネットを沈めてプランクトンの調査です。

東日本大震災直後に確認された植物プランクトン

顕微鏡を覗いている田中先生を固唾を飲んで見守っていました。やがて、「畠山さん、安心して下さい。牡蠣が食い切れないほど、植物プランクトンがいます。森は海の恋人運動の勝利ですね。湾に注ぐ大川流域の環境保全運動を続けてきたことが功を奏しています。特に新月ダム建設計画が中止になったことの影響が大きいですね」と。田中先生は有明海に注ぐ大河筑後川を上下する魚の研究を30年間も研究されていて、河口堰やダムの弊害を熟知されていたのです。

リアス式海岸の名前の由来(リアス)はスペイン語で「潮入れ川」の意味。リアの語源はリオ(川)です。元々川が削った谷に、後で海が侵入したのです。つまり、主役はリオ(川)なのです。
森の養分が海に届かないことには、海の生き物は育ちません。大津波からの復活は、川の流域の環境を整えることの重要性が証明された出来事でもあったのです。

仏教と環境問題
フォレストベンチ研究会 理事 輪王寺住職 日置道隆

仏教には、『無我』と『縁起』の教えが根本にあります。私は、この根本概念には、環境問題をどのようにとらえるべきかのヒントがあると思っています。私たちは、よけいなことを考えないという意味で「無我の境地で」と使います。では、仏教思想の無我とはどのような状態なのでしょう。無我と聞くと、多くの人が、自分をなくさなければならないのか、と考えます。しかし、無我はけっして自分をなくすことではありません。自然の道理である諸行無常であり、永遠不変の自我はない、ということです。おぎゃー、と生まれた赤ん坊に自我はありません。成長とともに自我が成長し、年を経るとともに自我が薄れ死んでいくと単純に考えてもいいと思いますし、その方がなんとなく理解しやすいでしょう。永遠不変の自我はないけれども、そこにはかけがえのない自分はいるのです。ではどこにいるのかというと、つながりの中にいます。それが縁起の世界です。

私たち日本人は、普段何気なく「縁起がいい、悪い」と言います。そして、そこになんらかの因果関係を感じ取っているのです。すべての現象には、原因があって結果があります。これが因果関係ですが、仏教では、原因と結果の間に縁があると説きます。なにかの出来事が起こるためには原因が必ずあるものですが、原因だけでは起こりえません。そこには縁が必要です。どんなに才能のある人でも、チャンスなり巡り合わせ、つまり縁がなければ、世の中では成功できません。逆に、チャンスや巡りあわせに恵まれたとしても、本人に実力がなければ成功できないでしょう。かように因と縁の両方があってはじめて現象(果)が起きるのです。あらゆるものは、つながりの中にあって初めて存在することが見えてきます。私は私自身で成り立つものではない、つまり本体はない、私はまわりに支えられてこそ存在しえるのです。

これが関係性の中で成り立つ仏教の世界観です。この世界観を基軸にしながら人間としてのあり方を説いたのが仏教ということになります。生命は常に、植物・動物・微生物がそれぞれに生産者・消費者・分解者(還元)としての役割を果たしながら生態系を健全に廻っています。これが地球本来の姿のはずです。この世界観を科学的に実証しようと試みているのが生態学です。生態学は、生物と環境の間の相互作用を扱う学問分野です。生物は環境に影響を与え、環境は生物に影響を与えます。

700万年前にアフリカで人類が誕生しました。初期人類は森つまり自然の中で猛獣におびえながら慎ましく生活していたのです。幾たびの変遷そして進化を遂げながら、直立二足歩行をおぼえ、道具を使うようになり、10万年ほど前より音声言語を発明しました(言語学者ジョハンナ・ニコールズの説 カリフォルニア大学バークレー校)。私は、この言葉の発明が人間の作為的な欲望の始まりと考えています。言葉は物事を抽象化することに役立ちます。すると、人間は物事を比較し、考えるということをおぼえたと推測できます。物事を比較するとそこに差別化が発生します。そこに欲望が出てくるのです。最初は極く少ない欲であったものが、1万年前の農業の発明により森を破壊し、そこに定住することをおぼえました。そして土地や物を所有する欲望へと膨らんでしまったのでしょう。それから、人口の増加により領土の拡張を行い、土地の奪い合いが始まり、戦争へと突き進むのです。欲望とは不思議なもので、一つの欲をかなえると、もっともっとと次から次へと膨らんでいく性質を持っています。つまり文明が進めば進むほど欲望は肥大化していきました。その欲望の根源にあるのが「我」なのです。

自然は本来すべてが常につながり合いながら循環しています。この循環に楔を打ち、止めようとする意識が我も我もという「我」なのです。持続可能な循環型社会を目指しましょう、とはよく聞く言葉ですが、環境問題を引き起こす私たちの行動の根本は、私たちの心のあり方からきていることを、私たちは知らなければなりません。

コンクリート擁壁は、すべての循環(水循環・窒素循環 etc)を無視し、単に斜面を押さえることによって安全を図ろうとするものです。かたやフォレストベンチ工法は、すべての循環を生かしながらも安全を図り、自然と共生することによって私たちも生き延びようという工法なのです。そもそもの発想の原点が違うのです。これから私たちが健全に生きるために、人間のみが生き残ろうとするのか、自然と上手くつき合いながら生きるのかを、深く考えるべきでしょう。

新春よしなしごと
フォレストベンチ研究会 自給シニア会 会員 公文國士

ヨーロッパ大陸に野生の猿は生息していない。と、前回のSTEP(11/12月号、第2014号)の原稿に、日経新聞に掲載された霊長類学者、松沢哲郎教授の文章を引用して書いた。ところが正月休みに、たまたま見ていたTV番組で、ヨーロッパ大陸で唯一生息する野生猿として、バーバリーマカク(Barbary Macaque)という種類が紹介された。残念ながら番組名はきちんと記憶していない。何しろ正月の特権とばかりに早朝から飲酒していたため、少し酩酊気味であった。確かヨーロッパ大陸の南端、英国領ジブラルタルを紹介する番組だったと思う。さすがに気になって調べてみた。猿に関しては何も資料を持っていなかったので、ネット検索をしてみた。

判明したことは、バーバリーマカクとはアフリカ北西部のモロッコ、アルジェリアなどに分布する野生種で、7~8世紀頃イスラム圏からヨーロッパ大陸に持ち込まれたものが野生化したものとあった。つまり自然分布ではないそうだ。野生猿の生息地として組み込まれなかったのは、このためだったのかもしれない。属種はマカク属と言い、ニホンザルもこの属種に含まれるそうだ。そういえば写真で見るバーバリーマカクの姿はよく似ている。ただニホンザルに比べると、精悍な顔つきをしている。おそらく生活環境が、日本に比べて過酷なのかもしれない。

バーバリーマカク

日本は、海洋上に浮かぶ列島の国です。その位置するところから様々な恩恵を受けてきた。 南北に細長い国土から、気候は亜熱帯から亜寒帯まで幅広い。しかもはっきりとした四季がある。これは人によっては、梅雨の時期を加えて五季ということもあるそうだが、一般的には四季とされている。山岳地帯も多いが、そのため良質の水を多く産出し、穏やかな気候の地域がほとんどを占めている。
以前、日本の特徴を表す例えとして、駅弁文化という比喩がよく聞かれた。駅弁の中身を見て、多種多様のおかずが少しずつ、しかも彩りよく配置されていることからきたと思われる。種類は多いが、1種当たりの分量は少ない。日本の生産物の特徴をよく表していると感じる。

おそらくこの列島に移住してきた原日本人は、当初はこの豊かで穏やかな地域に大いに喜んだことでしょう。ところが、いざ定住してみると、火山の噴火、地震、台風など自然災害に見舞われることも多かった。火山の多い日本列島は、そのおかげで豊かな資源を生み出してきた。その反面、上記のような災害に合うことも実に多い、災害大国でもあった。しかし、日本人の性格の穏やかさ、気遣い、相互扶助などの精神は、こうした厄災に対処することから育まれたものかもしれません。

ニホンザル

日本列島は、2018年もまた数多くの災害に見舞われました。今年もそれに劣らぬ数の災難が日本を襲うことが予想されます。

正月休みの間に、「永遠に美しく」(DEATH BECOMES HER)という1992年に公開されたアメリカの喜劇映画が、テレビで深夜放送されました。容色の衰え始めた2人の美人女性が、1人の男性を射止めようと、若返りと不死の秘薬を飲んだのちのドタバタを描いたブラックコメデーです。その展開とSFX(CG等を使った特殊効果)の映像が素晴らしい。しかし最もユニークなことは、秘薬を飲んだ後は肉体が完全にマネキン人形のように無機質化してしまうことです。従来の不老不死を扱った映画は、肉体は傷ついても再生し、本来の姿が保持される。ところがこの映画では肉体が傷ついた、或いは欠損した場合には補修が必要なのです。この補修作業も笑いを誘う要素となっています。つまり肉体は完全に死んだ状態となっているのです。

日本の斜面工事や防潮堤工事の現状は、相変わらずコンクリートを使った手法が主流を占めています。これでは上記の映画の肉体のように、経年変化や破損に対して常に補修を必要とします。しかも不死ではありません。寿命があります。

フォレストベンチ工法は、自然が持つ力の助力を得て防御していきます。勿論不死ではありませんが、自然の営みが地盤を保持する樹木や樹根を次世代へと命を繋いでいきます。従って補修作業も基本的には必要としません。

現場だより(平成31年3・4月)

◆3月11日(月)の朝のNHKニュースで報道されたものの中に“宮崎市が津波対策で揺れている”というのがあって、注目した。

◆宮崎市は県都であるが、県全体が過疎化に悩む中、宮崎市だけが人口増加しており、5年前にハザードマップで示した低湿地帯に住宅が急増した為に、そこへ津波が押し寄せると浸水の深さが1mで、相当な被害が生じるであろうという。

◆人口増による住宅地を安く提供する方策として、低湿地が対象となったが、それが新たな火種になったのである。

◆昨年暮れ11月30日に県議会の防災・減災対策特別委員会で波状岩の景観を損ねずに津波を避ける“海中防波堤”を紹介したばかりだったが、次の心配は内陸部の低湿地が対象であった。

◆海中防潮堤は、市民の知る処ではなかったが、漸く宮崎で南海トラフ巨大地震の脅威が身に迫ってきたようである。

◆“とっさに考えたのは”海中防潮堤を乗り越えて来た津波の海水を同じ透水網製柵を用いて浸透させ、”柵の外側“に遊水させる方策であり、“陸中防潮堤”と名付けた新しい堤防である。透水柵を透過した海水が静水状態を保てば、人の命を危うくすることは無いのではないかと思ったのである。

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