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STEP(HTML版)

STEP(第200号)

命あっての物種
フォレストベンチ研究会 理事 畠山重篤

東日本大震災から丸で七年の歳月が経過しました。三陸の海辺の漁師の生活はまだ諸々の問題はありますが、なんとか目処が立ってきました。

これも一重に物心両面で支援して下さった全国の皆様の応援のおかげです。心から感謝申し上げます。

被災直後は、先のことは全く考えられませんでした。災害の規模があまりにも巨大過ぎるのです。津波の常態地帯ですのである程度の覚悟はしているのですが、千年に一度と言われる巨大津波では立ち向うことは不可能です。思いっきりよく、あきらめが肝心なことも教えてくれました。

震災直後の舞根地区

個人的なことを記させていただきますと、我家は海辺ですが、海抜二十メートルほどの高台に建っていたことで、自宅が流されずに済んだことです。長男夫婦と幼い孫四人と同居の八人家族でしたので、もし自宅が流されたと考えるとぞっとします。

我家は元々、祖父の別荘でした。山林地主であった祖父は所有する土地の中で、最も景色のよい地に別荘を建てたのです。舞根湾を池に見立てた借景の地です。

祖父は明治二十年生まれですが、東北の寒村から熊本五高で学んだ知識人でした。夏目漱石や、小泉八雲などが先生だった時代です。津波の歴史を調べていて、海辺の別荘の高さを考えたのです。

あの日、海辺の電柱をはるかに越える津波に蹂躙される様を直視させられて、もしかすると、ここまで襲われるかも知れないという恐怖から、孫を抱きかかえてすこしでも高い所と、裏山へ逃げたのでした。家を流された近所の人たちも二十人ほどかたまっていました。

夕方になって、恐る恐る自宅はどうなっているか見に行ったのです。残っているとすれば、我家だけだと思ったからです。屋根が見えた時はほっとしました。庭に降りてみるとロープが庭木にひっかかっているではありませんか。

庭の前の法面では、フォレストベンチの杉の壁が動いていました。庭スレスレまで津波は到達していたのです。ぞっとしました。フォレストベンチの最上段まで届いた津波は、引き波になります。フォレストベンチを支えているのは金網です。金網は潮を通過させます。

だから法面はそのまま保たれたのです。栗原氏の洞察力は凄い、と思いました。こうして近所の人たちは、我家で何日か避難生活をすることができたのです。

復活したカキ養殖

祖父の家は海辺からかなり離れた山際近くにありました。海から離れているだけで、海抜は低いのです。流されて跡形もありません。

少なくとも三百年は暮らしていたでしょう。四面海に囲まれた日本は、教訓としてこの津波の高さを基準にするべきだと思いました。防潮堤では津波を防ぐことは絶対できません。少なくとも住宅は今回の津波の到達点より高い位置に後退すべきです。

経済活動に欠かせない工場や、商店等は津波が襲(き)たら、あきらめるしかありません。そう割りきるべきです。

“命あっての物種”は、最も重要な教訓です。とにかく、高い所に逃げることです。避難場所の確保と、そこへ行くための道路網を整備することに予算を集中させるべきです。

小さな集落ですが我が舞根地区は、住宅は海抜三十メートルの高台に移住しました。住民全員の同意で防潮堤を拒否し認められたのです。高い防潮堤に囲まれ、扉からしか海に出られない生活など、真っ平ごめんというものです。

現在の舞浜湾 中央奥が高台移転地

 

南伊豆《弓ヶ浜》に防潮堤はいらない!-②伊豆に観光と両立する津波対策・地震対策を-
フォレストベンチ研究会 理事 河西悦子

 

一昨年(2016年11月)に伊豆における防潮堤についての記事を書かせていただきましたが、その後の動きです。このきれいな南伊豆の弓ヶ浜に防潮堤をという動きが、更に具体的に検討されているということを聞きました。

この写真は南伊豆町弓ヶ浜の海岸です。

弓ヶ浜の竹麻地区の例を見ますと、賀茂振興局・下田土木事務所・南伊豆町主催の「津波対策検討会―竹麻地区住民説明会」が何回か開かれたようです。その時の資料では、内閣府中央防災会議で出されている津波対策がベースになっています。レベル1(頻度の高い津波)とレベル2(最大クラス津波)に分け、レベル1に対してはまず施設(防潮堤・水門等)ありきで、避難対策についてはそのあとにくっつけられているようにしか見えません。本来、いの一番に考えるべきは、現状の避難計画です。その中で、個々のエリアでどうしても施設整備しなければ住民の安全を守れないならば、どのような施設を考えるかということです。

防潮堤の具体的な高さなども案として示され、地域として賛成派・反対派に二分されてしまったようでした。人命・財産を守るためと言われると地元で反対の声も上げられないといっていました。このような公共事業は、地域を賛成・反対に分断してしまうのが一番の弊害です。東北での防潮堤の建設でも、地域のしこりが消えないといったところもあるようです。奥尻や東北の実例をもっと学ぶべきです。

弓ヶ浜では、観光で生きている地域として、防潮堤の建設に懸念を持った人々が反対の署名活動を行い、地域の若者たちも同調した動きになり、今、取りあえず建設への動きは中断しているようです。

防潮堤先にありきで、賛成か反対か、守るのは命か生活かと二者択一を迫るのではなく、防潮堤以外、命も生活も両方守る選択肢を考えていくべきではないでしょうか?

静岡県のHPの伊豆の賀茂地区(市5町)で進める津波対策地域協議会の進捗状況として、基本方針についてできたところは25地区のうち9地区でまだ半分にも満たない。できたところは1地区を除いて、レベル1に満たない既存のものの高さが必要堤防を満たしていなくても、観光産業を中心とする当地区の特性に鑑み、防潮堤等の新たな施設整備や既存施設のかさ上げは行わないものとする、としている。

避難について、下田市は最大クラス(レベル2)津波に対して、住民や観光客の迅速かつ主体的な避難を最重要の対策と位置付け下田市の津波避難計画に基づく避難を後押しするソフト対策を推進、となっている。

しかし、弓ヶ浜の竹麻地区を含めて、できていない地区はまだどうなるかわからない。

方針ができたところでも、現実的な対策はまだまだこれからです。私自身、今伊豆に行ったときに、地震と津波が来たらどうしようと不安になります。まず災害情報・避難情報が的確に誰にでもわかるようにはなっていません。どのような時、どのように行動すればよいのか、地元の人たちもあまりわかっているわけではなく、観光客ならなおさらです。今どき、最先端の技術を先駆すれば、情報発信を的確にすることはクリアできる時代です

前回の記事①での栗原さんに作っていただいた提案のように、防災を観光の目玉に、防災訓練・避難訓練を観光客巻き込んで、日常の観光の中に生かすことを現実的に考えていくべきです。

○奥尻島の悲劇、東日本大震災の危うい選択を繰り返さないために

○防潮堤の盲点

○巨大津波への備えと漁業・観光との両立

○車で移動中の地元民・観光客の迅速避難路の整備

○通信技術の発達を防災に生かす

○避難訓練を観光に生かす

【対案】絶景と味覚を楽しみながら防災訓練効果を高める取り組み避難路・避難場所を観光客が楽しめる場所として整備していく。伊豆はフルーツの豊かに実るところでもあるので、フルーツパーク的な場所として整備しても面白いと思います。伊豆が観光と防災のテーマパーク的なエリアとして整備していっても、伊豆の海岸を防潮堤で囲むよりははるかに安い金額ででき、地元の観光振興・くらしを守ることになっていくのではないでしょうか。

下田市突端に位置する”寝姿山”の山頂に計画したパーキングエリアの標高は、凡そ50mで下田湾を見下ろす絶景の位置を占める。観光客は車を持ち込み、簡易なテント生活で数日を暮らしながら津波をやり過ごす。そこでは、地元産のフルーツや魚介類が提供されて”心地良いひととき”を過ごすことができる。

 

美しい海岸線を守る「海中防潮堤」への期待
フォレストベンチ研究会 宮崎支部長 川添祐一郎

私の住まいは、海抜ゼロメートルに近い宮崎平野の中心部よりも海岸寄り市街地に在り、今、最も懸念されている“南海トラフ地震”が発生して東九州方面に津波が押し寄せれば、忽ち海水浸水を受けてしまう、極めて無防備な海岸線に住んでいます。

幼いころから親しんできた青島神社周辺には遠浅の海水浴場と、鋸のような「鬼の洗濯岩」が沖に向かって広がっていたが、今、砂浜は々にまり、 青島は元の半島のように姿を変えつつある。

この宮崎平野の東側に広がる日向灘には、写真のような“鬼の洗濯岩”と呼ばれる波状岩盤が、見渡す限りの眺望に立ちはだかっており、人類の歴史や悠久の神話を遥かに遡る3000万年もの昔から南国特有の“古代の記憶”として、地域に根差しています。天然記念物に登録されたのは昭和9年のことですが、宮崎の重要観光資源であるこの自然遺産に手を付けてまで、防潮堤を作ろうと考える県民は一人もいないと言って良いほど、人々は宮崎ならではの“悠久の自然資産”を失うことは考えてないのが現状です。

去る3.11の東日本大震災7周年を特集する映像の中では、三陸海岸の約4割に該当する160kmが高さ14.5mの屈強なコンクリート製防潮堤で完成したことが紹介されていました。このような防潮堤が“青島”など宮崎平野の東沖に出現すれば“南国特有の宮崎の観光資源”は消滅し、“古代の記憶”と観光力を失った宮崎は誰も親しみを感じることは無くなり、何れ忘れ去られる運命が待ち受けていることは、県民なら容易に想定できます。

宮崎の海岸では、全国的課題となっている「海岸の砂浜がやせ細る現象」を如何にして止めるか、という養浜技術に熱心に取り組んでいる所ですが、巨大津波にどのように対処するか、という課題には“全くお手上げ”の状態です。三陸地方で実現したコンクリート防潮堤よりも、人々は宮崎平野で今後も生死を共にする“鬼の洗濯岩”を失いたくない、とする気概の方が勝るという、宮崎県民独特の郷土愛が生き続けているのです。この崇高で健気な想いが後々仇にならなければ良いが、と願っていた私に、突然、明るい希望を与えてくれるニュースが入ってきました。

緩やかに沖へ向かって傾斜する鬼の洗濯岩の水深数mの所に、垂直の透水壁を設置すれば、海中防潮堤が出来上がるのではないか、というものです。海面には姿を見せない海中防潮堤がどうして津波除けに効果を表わすのか、私は狐につままれたような気分でした。伝えてくれた栗原理事は、小学校高学年の時にチリ地震を体験し、生まれ故郷の宮崎県日南市大堂津の漁港の海水が空っぽになったと事実を覚えていて、発想したのだそうです。

つまり津波の際には、海面が急激に沖へ引いた後、再び押し寄せる性質があるので、その波の衝撃を留めることができたら津波の害を軽減できる、と考えたのです。しかも、海水を全て押し返すのではなく、透水壁や金網によって“やんわり”と止めて、海水上昇を緩やかにすれば、津波被害は減らせるし、東日本大震災で1万8千人の人々が外洋へさらわれて失った命を想えば、それを阻止する効果(働き)も生まれるだろう、とのことです。また“推砂促進”によって養浜効果も得られる可能性があると言います。実現までには問題は多々あるだろうが、魚礁としての役割がどうなるか、多くの人達の審判を仰ぐ必要がある、ということである。

この3月13日(火曜日)に海底アンカーで垂直透水擁壁を直立に保つ“引張リング”の実験が終了したばかりで、D22mmのASボルトの引張強度18トンを越える約20トンに耐えられることが判明したとのこと。海中に沈んだまま百年もの耐久性をどのように保つのか気になったが、酸素との結合が海中で遮断されることを想えば、途中での取り替えも含めて、長期の耐久性が期待出来そうである。

直立すれば、3~4mの「透水壁」であるが、海底に伏せている間は、その姿は海面下に沈み、アンカーによって固定される仕組みである。

これまで防潮堤といえば、陸地海岸の自然を犠牲にするのが当たり前と考えられて来ました。その結果三陸沿岸は、400kmもの海岸線が景観も自然も失い、後世に美しい海岸を残せないことになるのです。海中で起きる津波を鎮めるに、海中でそのエネルギーを殺いでしまおう、という発想は、理に適っているのではないかと思います。

景観や自然を損なわず、人々や多くの生きる命が生息する天然の美しい海岸線を守る「海中防潮堤」が実現すれば、宮崎だけでなく、海に取り巻かれている我国の国土を自然の猛威から守る手法として、有効な技術になるのではないか、ふと想った次第です。

現場だより(平成30年3・4月)

◆7年目の3.11を迎えて、全国放映された東日本大震災の報道では、高さ14.5mのコンクリート防潮堤が、威容を呈していました。

 

◆三陸のリアス式海岸の自然とのトレードオフで得られた、高価な防潮堤ですが全長400kmのうち4割に当たる160mが完成し、見るからに高価な構築物です。

 

◆しかしその効用が如何なものか、懐疑的です。先ず100年後、次の巨大地震まで、コンクリートが耐久性を維持しているかどうか、多くの人達の注目を浴びています。

 

◆高さ14.5mのコンクリート防潮堤は、津波どころか海の風景すら人々の暮らしから遮断してしまうので、海洋民族である我々の子孫は、我慢できずに防潮堤の改造が始まることが懸念されます。

 

◆防潮堤とのトレードオフで捨てられた自然への回帰が希求されると、より高価なコストが必要になります。人々は掛替えの無いものに対し強い希求の念を抱くからです。

 

◆自然とのトレードオフには、極めて高くつくことを教えられそうです。

 

 

 

 

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