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汽水の匂いに包まれて - 牡蠣養殖100年 -

NPO法人 森は海の恋人 理事長、フォレストベンチ研究会 理事 畠山重篤

栗原理事から会報STEPに原稿を、との依頼をいただきました。そのきっかけは、昨年 総会後の懇親会で購入して頂いた拙著「牡蠣の森と生きる」をお読みになって下さったことだそうです。栗原理事と初めてお会いしたのは、平成12年(2000年)のことでした。突然、気仙沼の我家を訪ねてこられたのです。開口一番、“崖はありませんか”」でした。この一言がきっかけで、崖くずれに苦しめられてきた我家の裏の法面が、グリーンベンチ工法で安定したのです。

自宅裏にフォレストベンチを施工する前は、のり面からの土砂流出に悩まされたが、4段の水平面にはたくさんの山菜も育ち、食卓を賑わしている。20年を経た間伐材は延命の最長記録を更新中である。

「全国高速道路建設協議会事務局長」と「牡蠣養殖業」は、どう考えても不思議な出会いです。そのネタを、連載していた文藝春秋 諸君!誌に記したのです。思わぬ反響がありました。この連載はその後「日本汽水紀行」を顕して単行本になり、「日本エッセイストクラブ賞」を受賞したのでした。名刺にエッセイストと記してもいいというお墨付きを得たのです。牡蠣養殖業者に“崖はありませんか”と問われた栗原理事の問い口が面白かったと審査員の方々が仰っていました。

日本エッセイストクラブで賞を受けますと、原稿依頼がどっと増えます。全漁連傘下の全国共水連の機関誌「漁協の共済」からの依頼もその一つです。栗原理事と出会った平成12年からスタートし、足かけ20年になります。隔月ですので115回になります。切りのいい110編でまとめ単行本になりました。今5月発売です。タイトルは、「汽水の匂いに包まれて=牡蠣養殖百年」です。「あとがき」を少し紹介させていただきます。「汽水の匂いに包まれて」というタイトルに惹かれ本書を手にとって下さった方は、言わば、”通”の方かも知れません。ほとんどの方は、意味がわからん、でも表紙の牡蠣は美味しそうだが・・・と横目に見ながら立ち去ろうとするでしょう。

でもちょ、ちょっとお待ち下さい。
”カキじいさん”を自認する三陸牡蠣漁師の半生460ページは、新型コロナウイルス禍で訪問ができ、本でも読むかと思われている方々のお供となり、未来への希望を見出すきっかけになるはずと、自負するからです。

昭和18年(1943年)10月、赤ちゃんカキじいさんは、母小雪の体内から生まれ出ると同時に、胸いっぱい汽水の匂いを吸い込んでいました。と言いますのは、出生地が世界第三の大河、揚子江の下流域、蕉湖(ウーフー)という地だからです。上げ潮になると、東シナ海の海水が遡上し、揚子江は大汽水域と化します。父、司は船会社に勤務するサラリーマンで上流域の重慶で産出する鉄鉱石を、九州の八幡製鐵所に運ぶ手配をしていました。その後、河口の世界最大都市、上海に転勤になり都会生活をしていたそうです。敗戦色が濃くなり昭和20年、1才半の私を背負った母を最期の鉱石運搬船に乗せました。母は命からがら下関に上陸し故郷、気仙沼に帰ったのでした。

運よく終戦後、帰還することのできた父が家族を養うために始めた仕事が、牡蠣養殖業でした。父は旧制気仙沼中学時代、剣道、野球、サッカーなどの花形選手だったそうですが、どういうわけか泳げなかったのです。泳げない人が漁師になるということは、どれほど苦渋の決断であったかと思うと頭が下がります。やがて昭和22年(1947年)我が水山養殖場が産声を上げたのです。水山とは桟橋が造られたところの地名です。沢水が切れ目なく流れ落ちる地で、前浜には馬尾藻(ほんだわら)が茂り、メバルが棲みついていました。

カキじいさんの幼名は“しげぼう”です。汽水の匂いに包まれて育ちました。
あれから70年、跡取り孫の紘一が、石巻専修大学理工学部生物学科に進学しました。紘一の代で我が家の牡蠣養殖も100年になります。小学2年から本連載の挿し絵を担当させました。
お読みになった栗原理事からSTEPへの原稿依頼がまた、あるかも知れません。

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