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「自然と土木」日置道隆

日置道隆(2019)「自然と土木」『生存科学』Vol.30-1 p105-p120

宮脇昭先生の復活

平成31年4月14日(日),神奈川県秦野市の栃窪スポーツ広場にて,「宮脇昭復活植樹祭」 が催されました。宮脇先生は御歳91歳,横浜国立大学名誉教授であり,著名な植物生態学者です。宮脇先生は,自らの理論と植樹方式を実践すべく,国内外約1700箇所4000万本以上のふるさとの木々を市民とともに植え続けてきました。4年前不幸にもご自宅で倒れられ,今現在施設にて懸命にリハビリに勤しんでおられます。この日は4年ぶりの植樹祭でした。

当日400名以上の参加者によって3000本のふるさとの木々が植樹されました。開会式では,車いすから介護士さんの手を借りながらも立ち上がり,参加者に向かいしっかりと語られ,病と闘いながら,老骨に鞭打って懸命に私たちにメッセージを伝えてくれました。 「緑の植物からなる森は,生態系の中の唯一の生産者です。人間を含めた動物はすべて消費者であり,生産者の植物に酸素と栄養源を頼っています。どんなに科学・技術を発展させ,富を手に入れても,私たち人間は他の動物と同じように,緑が濃縮している森に依存しなければ生きていけません。土地本来のふるさとの木々によるふるさとの森は,私たちの生存基盤です。いのちの森づくりは,いろいろな種類の苗木を混植・密植することにより,10年から20年を経ると木々が生長し,多様性のある森になります。このような森こそが,台風地震・津波 などのあらゆる災害から私たちを守ってくれます。…中略…皆さんが主役です。ともに額に汗し,大地に触れて,足元からいのちの森をつくっていきましょう」


こう先生は呼びかけました。身体が不自由であるにもかかわらず,言葉が途切れ途切れになりながらも,時にジョークを交え必死に参加者に語りかけるお姿に,参加者全員が感銘を受け,さらに理屈だけではないなにか,そして内から沸き上がる凄まじい迫力と精神性を感じたのではないでしょうか。

潜在自然植生理論とは,植物生態学上の概念,一切の人間の干渉を停止したと仮定したとき,現状の立地気候が支持し得る植生のことを言います。1956年,ドイツの植物学者ラインホルト・チュクセンによって提唱されましたが,この概念を実際の植生回復へ応用する試みがチュクセン氏に師事した宮脇先生によって始められました。この概念からみると,もし日本に人間が住んでいなかったら,国土の98%が森になると宮脇先生はおっしゃいます。つまり日本国土の自然はほとんどが森なのです。

永年ひたむきに続けてこられた宮脇先生の「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」活動は,東日本大震災後に「森の防潮堤」構想へと発展しました。海岸線に被災瓦礫と土を混ぜて埋め盛土して高台をつくり,そこに土地本来の高い木から低い木までいろいろな種類の木々を植えて多層群落の森を形成し,津波から私たちの生命と心と財産を守ろうという構想です。森の防潮堤は,それ自体が丸くて軟かく湿っていて活発な生き物の塊です。地下も木々の成長と共に土壌生物や菌類が網羅され,絶えず生滅を繰り返し世代交代しながら人類生存中は存続します。生物である森の木々はしなやかさを武器に津波の力を減殺します。高台部分も生きた土 にしっかりと木々の根を張り地盤が安定し,永年我々を洪水や津波などの災害から守ってくれるのです。

私は,東日本大震災直後から「森の防潮堤」構想に深く関わり,一般社団法人森の防潮堤協 会の理事長を務めています。2012年から岩沼市はこの構想を取り入れ,「千年希望の丘植樹祭」が毎年行われています。過去7年間毎年開催されていますが,市民を始め全国各地そして 留学生などの有志延べ4万人を超えるボランティアが32万本の海岸線に適した木々を植樹し てきました。生長の速い木は5mを超え,多層群落の森を形成しつつあります。

この事業は,市民の意思が反映され実際に参加するという全く新しい形の公共土木事業と言っていいでしょう。今までは,政府や役所が決めたものを業者が請け負い,私たちが実際に参加するということはありませんでした。私は,この事業によりこれからの土木事業にとって新たな指標が見えてくると思うのです。コンクリート防潮堤は,防災のみの視点から土木工学に よって施工された自然破壊型の事業です。かたや森の防潮堤は,防災のことを考えながらも新たな生態系を創造しようという土木事業なのです。

 

輪王寺のフォレストベンチ工法採用,そして森の再生

私が住職を務める輪王寺敷地内には,平成16年より5年間かけて約3万2000本60種類の 高木,亜高木,低木からなる土地本来の木々が植えられています。高さ約30cmのポット苗を 市民と共に植樹したのですが,今や木々が生長し,令和元年5月現在,生長の早い落葉広葉樹 (ヤマザクラやケヤキ)などは10mを超え,生命が廻る森に囲まれたお寺になっています。輪 王寺に散策のため訪れる市民や観光客,そしてお墓参りに来る檀家様に潤いを提供しています。

平成18年,仙台市の決定により,輪王寺西側の市道が拡幅されることになりました。その ため,輪王寺西側斜面が削り取られ,鬱蒼と生い茂った木立も伐採されることになり,その結果仙台市の市道と輪王寺の境界に,高いところで約9m,全長80.6mにわたり,角度約60度 の大きな急斜面ができることになったのです。

仙台市からの通達によると,この急斜面に沿ってコンクリート擁壁を造成するとのこと。し かし,平成16年から「いのちと心が廻る寺づくり」を標榜し,植樹活動を寺内で行っていた私は,コンクリート擁壁に対し疑問を持っていました。なぜなら,斜面緑化工法のひとつである「フォレストベンチ工法」(当時はグリーンベンチ工法と呼ぶ)を知っていたからです。急斜面であっても,森は再生できると確信していました。そして,この工法を採用することの多 くのメリットも理解していました。

この話が持ち上がる数カ月前,植樹活動のつながりから,私は『森は海の恋人』の著者である畠山重篤さん宅を訪ねていました。畠山さんは,南三陸の気仙沼市唐桑町で,牡蠣や帆立の養殖に従事しています。漁業において,上流山間部の森林が果たす役割の大きさに着目し,気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山(現在は矢越山)で植樹活動を毎年行っています。今では当然であると多くの人が知っていますが,森の養分が海にたどり着き,それが海を活性化させると いう理屈を世の中に広めようとしている方で,著書も多数あります。森と海は密接につながっていて,私たちに多くの恩恵を与えてくれるのです。彼の著書は何冊か読んでいましたが,著 書『日本〈汽水〉紀行』に触れられている『日本再生の鍵「グリーンベンチ」』に私は注目し ました。畠山邸は三陸リアスの入り江を見下ろす小高い丘の上に建っていて,家の裏側は崖に なっています。その崖の急斜面にグリーンベンチ工法を施していたのです。

せっかちな私は,畠山さんにお願いし,早速その現場を見せてもらいました。見た瞬間, 「これだ! この工法は,輪王寺の斜面にも活かせる」と確信します。そうこうするうちに, コンクリート擁壁か,フォレストベンチ工法かの仙台市との折衝が始まりました。ちなみに,畠山家の裏にあるフォレストベンチ工法からなる崖は,今次の東日本大震災の地震にも耐え, まともに大津波を被ったにもかかわらず,敢然と耐え抜いた実績があり,いかなる災害にも強い事が証明されています。そして,紆余曲折の末,仙台市のご理解を得,なんとか市道と輪王 寺境界斜面においてフォレストベンチ工法の着工となりました。この工法は仙台市にとって初 めての試みとなります。前例主義のお役所がよく受け入れてくれたものだと感謝しています。 きっと世の流れがそうさせたのでしょう。

フォレストベンチ工法は,「フォレストベンチ研究会」理事である栗原光二氏によって発案されました。栗原氏は,九州工大から東大大学院に進み,道路公団に勤務した技術者です。道路という国家にとって大切なインフラを造るというとても重要な役割を担っていました。私たちは,今や道路なしで生活することはできません。交通インフラなくして,国家の繁栄はあり得ないのです。文明は農業から始まり,灌漑施設を造ることから始まりました。そして交易が盛んになり,交通インフラが発達し,さらに文明は発展して行くのです。いつしか科学技術が途方もなく進歩し,自然の力を凌駕するに至りました。私たちの生活はその恩恵なしでは今や 成り立ちません。しかし,道路を造るということは,自然を壊すということです。そこに矛盾が生じるわけです。そこで編み出されたのが「フォレストベンチ工法」でした。交通インフラのエンジニアである栗原氏は,永年この矛盾に疑問を持ちながら常に葛藤してきたのです。そして退職後,棚田からヒントを得て,道路法面や急斜面に木を植える工法を開発しました。

栗原氏曰く,国土の7割が斜面からなる災害大国日本において,自然の破壊力に屈しない斜面は,交通インフラなどくらしの利便,そして安全・安心を高める基本要件です。コンクリートが主体だったこれまでの斜面防護は,生命の源である森と共存できず自然を貧弱にし,豪雨や地震の際には,かえってその破壊力を増し,被害を大きくしてしまいました。コンクリートは,経年によって劣化するので,そのことが斜面崩壊の危険性と経済負担を大きくしている, と説きます。

そこで,従来のコンクリート擁壁の発想から脱却し,斜面安定と恒久化を目指した栗原氏は,斜面を棚田のような階段状に造成し,構造的に安定した形状を確保することによって,斜面から土砂災害を防ぎ環境を改善する新技術「フォレストベンチ工法」を開発しました。階段状の水平面に木を植えることにより,さらにその効力が強化されます。自然のメカニズムから考えると,生命の循環,水や窒素の物質循環が,自然の要件を満たす大切なことです。フォレストベンチ工法は,人工構造物ではあるものの,安全・安心を図りながらも自然の循環を人為的にサポートする,優れた工法であることが解ります。逆から考えれば,自然の循環を大切にするからこそ,永年私たちの安全が保たれるのです。

垂直面は引っ張り材によって固定されているものの,柔構造なので地震にも強いのです。このことは畠山邸と輪王寺に施行されたフォレストベンチ工法による斜面によって証明されまし た。東日本大震災の大地震にも,そのしなやかな強靱さが発揮されたのです。

ここで,コンクリート擁壁とフォレストベンチ工法の違いについて述べてみましょう。

フォレストベンチ工法は,垂直面を透水性の鋼製ネットで覆い,地下に有孔管を埋めることにより,水と空気の出入りを重んじています。枠内に埋め込まれた土壌は地下と繋がっていて,雨水が地下水脈までたどり着くことを可能にしています。つまり,保水と排水の機能により土砂崩壊を抑制します。また,水平面に木を植えることにより,雨が直接表層土を叩くこと を防いでくれ,雨水がゆっくりと地下へ浸透することを助けてくれます。時間と共に樹根が生長し,斜面を支える力が増します。そしてなによりも個人的に気に入っていることは,フォレストベンチ工法の内側の土壌が,年を重ね,木々の生長と共に活性化されることです。落ち葉 は,土壌動物や土壌微生物によって分解され,また,木々に餌を求めて集まる鳥類の糞などが 土壌をさらに元気にしてくれます。豊かな土壌の中には,スプーン1杯(5グラム)で細菌 (バクテリア)が50億個体もいるといいます。これらの小さな目に見えない微生物が,地上の植物や動物を支える役割を果たしているのです。フォレストベンチ工法を施行された斜面自体が呼吸し,そこに新たな生態系が誕生します。無限と言っていい生命が地上と地下を循環し, 恒久的に私たちを守ってくれるのです。また景観を向上させます。

かたやコンクリート擁壁は,斜面をコンクリートで覆ってしまうため,水と空気の流動性を遮断します。よって,死んだ材料であるコンクリートに覆われた斜面に生き物が住むことはできません。コンクリートの滑面効果により,水流が加速し,豪雨時の危険度がアップします。 コンクリートは経年劣化するので修理が必要となります。脆くなったコンクリートは大きな地震によってクランクが入りやすくなり,崩落の危険すらあります。

私は,決してコンクリート自体を否定することはないのです。しかし,過信し使いすぎるこ とによる弊害を危惧しています。近代文明は,私たちに限りない豊かな生活を与えてくれました。それと同時に,自然破壊や公害など,かつてはなかった副産物をも私たちに突きつけています。

動物学者である本川達雄氏は,著書『生物学的文明論』の中で,生物と人工物の違いについて面白い考察をしています。生物は丸くて柔らかく湿っていて活発であり,死んでも常にリサ イクルされて繰り返し新たな生命を誕生させる。かたや人工物は四角くて硬く,乾燥していて 不活発であり,壊れてしまえばゴミとなり,互いに相反するものである,と。なるほどと思いました。実際我々の身体は押せば凹むし,硬いと思われる樹木も鉄やコンクリートに比べれば 柔軟です。生物は長い進化の歴史を通して環境に適応していきます。フォレストベンチ工法を施した斜面そのものが呼吸し,それ自体が丸くて柔らかく湿っている活発な生命の塊です。 地下も木々の生長と共に土壌生物や菌類が網羅され,絶えず新陳代謝を繰り返しリサイクルしながら,地上部を支え,私たちに潤いを与えながらも,私たちの生活を安全に保ちます。生物の 特性を活かしながらもきちんと構造計算された工法です。生物という概念をほとんど無視し て,人工構造物に頼り切った今までの近代のあり方から脱却した工法なのです。今こそポスト 近代の始まりです。どうやらその兆候が見えてきたようです。

 

法の改正

平成24年3月16日,中央環境審議会において,「国土交通省における生物多様性の取り組み」が発表されました。画期的であると思います。多自然川づくりの取り組み,陸域と水域に 極力人の手を入れずに河川の自然の復元力を活かした川づくり,生物多様性に関係する港湾の 取り組み,藻場の保全,干潟の再生,海岸環境の保全・再生・創出等,その中には,生態系を 意識した様々な取り組みが網羅されています。また,2010年の秋に行われた生物多様性条約第10回締約国会議では,日本が議長国として采配を振るい,遺伝資源の利用によって得られる利益の配分に関する「名古屋議定書」とともに,2010年以降の世界目標である「愛知目標」を含む「新戦略計画」が採択されました。そのビジョンを「自然と共生する世界」としています。

「海岸保全に関する基本理念」においては,「海岸は,国土狭あいな我が国にあって,その背 後に多くの人口・資産が集中している空間であるとともに,海と陸が接し多様な生物が相互に 関係しながら生息・生育している貴重な空間である。また,様々な利用の要請がある一方,人為的な諸活動によって影響を受けやすい空間である。さらに,このような特性を持つ海岸において,安全で活力ある地域社会を実現し,環境意識の高まりや心の豊かさへの要求にも対応する海岸づくりが求められている。これらのことから,国民共有の財産として「美しく,安全で,いきいきした海岸」を次世代へ継承していくことを,今後の海岸の保全のための基本的な理念とする。この理念の下,災害からの海岸の防護に加え,海岸環境の整備と保全及び公衆の海岸の適正な利用の確保を図り,これらが調和するよう,総合的に海岸の保全を推進するもの とする。また,海岸は地域の個性や文化を育んできていること等から,地域の特性を生かした地域とともに歩む海岸づくりを目指すものとする。」とされています。

法律が改正されているということは,少しずつではあるけれども,行け行けドンドンと自然を改変しながら,私たちの生活向上のために開発オンリーで進めてきたことに気づき,新たな視点で持続可能な社会を築こうとの国家意思の表れです。これは画期的な事なのです。

 

土木が歴史をつくる

東北大学で土木工学を学んだ竹村公太郎氏は,建設省(現在は国土交通省)入省後,おもにダムや河川事業に携わり,日本全国を渡り歩きました。竹村氏は,その経験から日本の地形を ほとんど知り尽くしていると自負しています。そして,地形・気候・インフラの視点から,歴史・文明を論じています。竹村氏は,三部作である『日本史の謎は地形で解ける』を著しました。日本の国土が現状のような形になったのは,江戸時代に入ってからであると説いています。江戸以前は全国各地で戦乱が起こり,もちろん各地でいろいろな工事は行われていたのでしょうが,本格的に国土の改変が行われたのは,徳川家康から250年間つづく平和な江戸時代 からです。戦乱時は,悠長に土木工事などできなかったのです。

東西南北に細長く3500kmに連なる日本列島は,急峻な山と非常に複雑な地形によって成り立ちます。竹村氏は,この地形が日本人の生活様式や文化を決定づけているといいます。私たちの先祖は,車による移動手段や機械もなにもない時代に稲作を取り入れ,大変な苦労をしながら生活してきたことが想像出来ます。

6000年前の縄文時代は,2万年前の最終氷河期が終わり気候最温暖期であり,気候は現在よ り2度高く,北半球の氷床が融けていたため,世界的な海面上昇を引き起こしていました。日本ではこのことを「縄文海進」と呼び,海面が今より5m高かったと言われています。この頃 日本列島の海に面した平野部には,深くまで海が入り込んでいたことが解っています。つまり,現在日本人が住む地域のかなりの部分が海の底でした。縄文人は,今よりもっと陸側の高台に住んでいたはずです。そして稲作を取り入れ,豊穣な海は人々に豊かな海産物を与え,日本文明の原点ともいえる稲作漁労文明を独自に築いてきました。雨が多く温暖な気候の国土は,ほとんど森に覆われていたことが解ります。食料も豊富だったはずです。

一方で,険しい山が聳え,川が多く(現在国土交通省が管理している河川法に基づく河川の 数は6万3636本),しかも狭い国土であるため流れの速い川を有する平野部では,幾度となく洪水が襲いました。日本は海で囲まれているので,海洋性気候であり,雨量が多いのです。縄文時代以降,海に囲まれた日本は独自の伝統文化を発展させ,一度として侵略されたことはありません。そのような国は日本だけであり,非常に特殊な国です。しかし,この国土の地形と 気候がもたらす自然災害が日本の敵だったのです。しかも,4つのプレート上に位置する日本列島は,世界で最も地震が多く,世界の陸地面積の0.3%の面積しかない日本列島が,世界の20%の大災害が起きている大災害大国です。幾度となく大地震や大津波が襲ったことでしょう。

日本の先祖は,遠い昔から非力ではあっても苦労を重ね,山を開墾し畑を造り,上手く工夫して治水事業を営み稲作を行ってきました。これは日本人のいにしえからの宿命なのです。先人達は灌漑施設を整え,家を建てて共同体ができると村落を造り,幾度となく襲う洪水に耐えながらもさらに工夫を重ね生き延びてきました。災害が共同体を強固なものとし,技術の発展を促し,島国であり閉じた社会であるが故に日本人としてのアイデンティティーを確立していったともいえます。

竹村公太郎氏は,今現在の日本国土の形を作ったのは江戸時代であると言います。14世紀から小氷期にはいり,海面は随分下がったのですが,日本列島の海に面した平野の多くは湿地帯でした。関東平野はかなり北の方まで湿地であったことが解ってます。1600年頃は,利根川の運ぶ土砂が堆積して沖積平野を形成しつつあったが,かつて海だった低地は水はけが悪く,排水ポンプなどない時代,利根川,渡良瀬川,荒川が流れ込んで,雨が降ると,この一帯は何カ月間も浸水したままのヨシ・アシしか生えないような湿地帯でした。そこで徳川家康は,利根川の水が関東平野をバイパスして,銚子方面に流す工夫を施し,関東は湿地から農地 へと姿を変えました。そして,関東平野は洪水に襲われ,そしてまた改良しと,繰り返し洪水を免れながら,新田が生まれていったのです。大型重機もない時代でしたので,先人の苦労は 並大抵でなかったはずです。身分制度があり,共同体がしっかりしていたからこそできたのでしょう。全国各地の大名達も,徳川家の事業を真似て,河川と闘い新田開発を行ったのが江戸時代でした。江戸時代は日本国土の姿を決めた時代なのです。

このように,現在の日本国土の誕生は,土木事業によって住める土地は湿地に向かい,河川 の堤防を造ることによって湿地を克服し土地利用を高め,稲作を促進し,漁業を営み,多くの人々が海岸線へと移動したのです。貞山堀に代表される運河も発達し,各地で交易も盛んになりました。この傾向は現在まで続きました。その結果,日本は極めて危険な文明を造ってしま ったといえるでしょう。なにしろ元湿地帯が都会になってしまったのです。

国土交通省のデータによると,日本国土は4つの区域に分けられ,森林67%,河川湖沼 3%,氾濫区域外20%,洪水氾濫区域10% になります。その洪水氾濫区域10% の中に全人口 の50%全資産の75%が集中しています。東日本大震災による大津波は,2万人もの尊い生命 と多くの財産を奪いました。それと同時に,江戸時代に伊達政宗公が始めたとされる仙台平野 のマツによる海岸林7~8割が流されました。土木事業による復旧のスピードには目を見張る ものがあり,海外からも称賛されたその一方で,海辺に住む住民の意向をくみ取らず,無機質 なコンクリート防潮堤がどんどん建造されてしまいました。

 

広村堤防

1854年,安政南海地震津波の際,和歌山県広村(有田郡広川町)のリーダーである濱口梧陵は暗闇の中稲むらに火を放ち,この火を目印に村人を高台に誘導し,多くの命を救いまし た。この実話をもとにしたのが,小泉八雲が著した「稲むらの火」です。昔から国語の教科書に載るくらい有名な物語でしたが,東日本大震災後再び大きな注目を集め,現在でも津波防災 の象徴として広く語り継がれています。

濱口梧陵の功績は,このことに留まらず津波震災後にも発揮されました。大津波から生き延びた村人を,今度は防潮堤を造るという土木事業によって救ったのです。震災後,村人は生きる糧をすべて津波で流されてしまいました。家も田んぼや畑もすべて失った村人は,この村では生きていけないと考え,村を捨てて出て行こうとしたのです。濱口梧陵は私財を投げ打ち, 堤防を建設し,労働力として村人を雇用し生活の糧を与えました。それが次なる産業へと繋がっていくことにより,広村の復興に大きく役立ったのです。土木事業は地域の雇用を生み公共固定資産を形成し,地域の安全安心を保証することを我々は忘れてはならないでしょう。

東日本大震災が起こった2011年の6月23日,濱口梧陵に興味を持った私はこの地を訪れています。震災後,コンクリート防潮堤か森の防潮堤か? の議論が沸き起こりつつありまし た。濱口梧陵の本を読んだ私は,「禅即実行」早速広村を訪れました。当時の仙台空港は震災 の傷跡生々しく,滑走路は使用できるものの,まだまだこれからの様相を呈していました。そ れでも航空機が発着できることに喜び驚いたことを覚えています。

高さ5m,幅20m,長さ600mの土を盛った大堤防がそこにありました。海岸に面した堤脚には松並木があります。一度マツクイムシで全滅,現在2代目が育っているそうです。堤防の 上は遊歩道になっており,周りにちらほらとハゼノキが植えられています。後背地には多くの 民家があり,1946年に襲った昭和南海地震津波からこの堤防によって護られました。しかし, 堤防に阻まれた津波はその外側に侵入し,その付近で22名もの村人が亡くなりました。施設 だけに頼ってはならないという教訓を私達に示してくれています。

京都大学大学院で土木工学を教える藤井聡氏は,著書『歴史の謎はインフラで解ける』の中で濱口梧陵を取り上げ,「この物語には,津波から『逃げる』ことを促す防災教育やリスクコミュニケーションの偉大さ,震災デフレを終わらせる大規模財政政策に基づく復興事業の必要 不可欠性,そして,町を丸ごと守り抜く堤防の重要さ,といった防災土木のあらゆる側面が詰まっているのである。つまりこの物語は『土木の力』の重要性のみならず,それを為さんとする『土木の精神』の崇高さを描写するものでもある」としています。地域の活性と防災が一体となった,まさに梧陵の国と地域を想う精神が生きた事業です。

奈良時代の行基や平安時代の空海に代表される僧侶による土木事業は,利他行として行われ ました。土木は,単に技術的にものをつくる行為なのではなく,生きとし生けるものを救う 「衆生救済」のためのものであり,古より最高の栄誉を与えられる利他行だったのです。

藤井氏は,土木をしてヒトを人間にかえたものであるとし,土木なくして文明・文化なし, と言います。土木事業は,私たちの生活基盤を下支えするものとして欠かせないのです。電気,ガス,道路,鉄道,上下水道,洪水や津波から我々を守る堤防,灌漑設備,橋梁,電話, 港湾等,どれひとつ欠けても現代人である私たちの生活は成り立ちません。つまり,私たちは これらの土木事業を否定することはできないのです。

 

近代からポスト近代へ

古代から先人達は,自分自身の糧を安定させるために非力ではあるが工夫を凝らし,自然と闘いながら土木事業を行ってきました。家族を養い,社会共同体をつくり,時に自然の猛威に 曝されながらも生き延びてきました。そしていつしか人々はさまざまな道具を生み出し工夫を凝らし,さらにエネルギーを利用した動力を編み出し,近代を迎え人間の力が自然をも凌駕す るようになりました。近代化は効率性の追求であり,単位面積と単位時間の生産性を向上させるため,一人あたりの生産性を高めることでした。それが大量生産へとつながり,大量のエネルギーを消費する工業化へと舵を切った時代です。それが画一性,集中,スピードアップを求 めたのでした。その結果,人々はどんどん都市へと集中し,効率性を求めるが故に同じようなビルを建て,移動手段も新たな手段を開発してスピードアップさせ,日本全国がチェーン店と化し,どこもかしこも金太郎飴状態になってしまいました。国内の都市,都市郊外,田舎,どこを歩いても皆同じような風景であることを,おそらく皆さんも感じることでしょう。それは,地域・産業の多様性の喪失をまねき,林業・農業・漁業の第一次産業はさらに衰退し,森里海のつながりが遮断され,日本国土は荒廃してしまいました。人類は万物の霊長であると自 惚れ錯覚し,自然破壊が進み,その影響は私たち自身にも降りかかって来ています。

国土交通省は,平成27年度に閣議決定された国土形成計画,第4次社会資本整備重点計画 に,グリーンインフラの取り組みを推進することを盛り込みました。

グリーンインフラの当面の考え方を国土交通省がまとめたものを記します。

「『グリーンインフラ』とは,社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において,自 然環境が有する多様な機能(生物の生息の場所の提供,良好な景観形成,気温上昇の抑制等) を活用し,持続可能で魅力ある国土づくりや地域づくりを進めるもの。

従って,自然環境への配慮を行いつつ,自然環境に巧みに関与,デザインすることで,自然環境が有する機能を引き出し,地域課題に対応することを目的とした社会資本整備や土地利用 は,概ね,グリーンインフラの趣旨に合致する。

これらの取組は,河川,海岸,都市,雨水貯留浸透,道路,国土管理等既往の社会資本整備や土地利用に多く見られることから,こういった取組を『グリーンインフラ』と呼称するか否 かは,当面重要ではなく,かかる取組の推進により自然環境が有する機能を引き出し,地域課 題に対応していくことを通して,持続可能な社会や自然共生社会の実現,国土の適切な管理, 質の高いインフラ投資に貢献するという考え方が重要」としています。

近代は物質至上主義で,開発と発展こそが国を富ませ,私たちの生活を豊かにすると信じて突き進んだ時代です。また,西欧列強の脅威から我が国を護る為にそうせざるを得なかったという一面もあったでしょう。しかし,その結果,自然破壊や公害などの環境問題が引き起こされ,私たちの生活に直接影響を及ぼすようになってしまいました。その反省から国家の意志として「グリーンインフラ」の概念がでてきたことは喜ばしいことです。

近代は効率性の追求であり,より優位で力の強いもの同士のつながりを上位に置き,人間の活動のみを中心に据え,弱者である周りの生き物や環境をないがしろにする時代でした。当時は,人間と自然の関係性などの学問自体が未熟でした。機能をすべて都市に集約させ,都市発 展こそが国家繁栄の道であるととらえたのでしょう。私は,この延長線上に弱者に厳しい格差社会があると見ています。

最近は,生物学や人類の歴史,土壌学,微生物学,発酵学等,生命を扱う学問がかなり注目されている感じがします。本屋を覗くと,そこかしこにこの手の本が並んでいます。きっと時代の変わり目なのでしょう。学問が多様化されるということは,世の中が多様化されることで あり,画一性の追求や生物と分離した強固な構造物によって「固い文明」を目指した近代化からの脱却であり,アンチテーゼなのです。

私たちの生活は,前の時代に造られた基盤の上に成り立ち,そこで生きて行かざるを得ません。日本列島という限られた土地の中で,先人たちは災害特に洪水に苦しみ,さまざまな工夫を凝らしながら土地を改変し,試行錯誤の歴史の繰り返しながら生き延び,今の私たちに繋がっているわけです。大雑把にとらえると,江戸時代までの先人たちは,稲作をやり,自然に畏敬の念を持ちながら自然を大切にし,海岸でさまざまな魚介類を捕り,河川の環境を守り,里山と共生し,馬糞そして人糞までも利用して,燃料や肥やしを得た,循環した社会をつくってきました。近代に入り欧米諸国を模倣して,機械によって自然を思うように改変できる力を得,一見住みやすい世の中になったような気がします。しかし,別の問題が新たに発生してい ます。私は,近代が悪かったというつもりは毛頭ありません。私たち自身この恩恵に浴しているからです。感謝すらしています。ただこのままではいけないと,多くの人々が感じているはずです。

私たち日本人の50%は,昔湿地だった所に住んでいます。つまり,大半が危ないところに住んでいるのです。そして近代はどんどん海岸をつぶしていった時代です。海岸線は,物流にとっての生命線です。工場や港湾施設を建造し,私たちの生活はより向上しました。その一方で,大きなコンクリート防潮堤を画一的に建造することにより,美しい海岸線は姿を消し,本来あるべき森と里と海の連環が危機に瀕しています。私たちは,人工構造物にたより経済発展を目指しつつ,自然を守り,自然を新たに創造しなければならないという矛盾した初めてのステージに立っているのです。そのためには,いろいろな分野の人々がいろいろな意見を出し合いながら議論を重ねるような柔軟性が大切になってくると思うのです。それこそが本当の意味での国土強靱化への道であり,古から自然と共生してきた日本人にはその思考が染みついていて,実践できる力があると信じています。

 

生物多様性と土木

国連の生物多様性に関する第一回包括報告書によると,現在100万以上の動植物の種が絶滅 の危機に瀕していると言います。人類の歴史上かつてない最も危険な状態に自然が曝されてい るそうです。生物多様性の減少の主な要因は人間活動にあるとし,野生動物の生息地が失われ ていること,漁獲量の爆発的な増加,気候変動,土地や水の汚染,そして外来種の侵入の5つ を掲げています。そして,生物多様性の減少は,人類が生き延びることをも難しくすると警告 しました。食料や水の安全確保,人々の健康,経済,そして世界の安全保障すら脅かすとしています。気候変動と種の保存は解決しなければならない同等に重要な問題であるとしています。この報告書は,問題解決には遅すぎることはないとの希望的観測も付け加えています。ただし,そのために政治と個々人の強い試みが関与しなければならないと締めくくります。

土木事業は,私たち人間に限りない豊かな生活を提供してくれました。しかし同時に効率性 を求めるが故に画一性をもたらし,これが生物多様性の喪失に繋がっていることは間違いあり ません。土木は文明を創り,文化,宗教,芸術,娯楽等,私たちの地域に密着した豊かな感性を与えてくれましたが,行き過ぎた土木は画一性であり,かえって地域の独創性を喪失させて います。このことは生物多様性の喪失と無関係ではないでしょう。生き物が生きるということは,生命をつなげるということであり,循環するということです。今まで土木は生態学の敵でした。これからは,双方が歩み寄り互いの欠点を補完しあいながら,循環する土木を目指していただきたい。

土木学会は,土木技術者の「倫理綱領」を以下のように定めています。
土木技術者は, 土木が有する社会および自然との深遠な関わりを認識し, 品位と名誉を重んじ, 技術の進歩ならびに知の深化および総合化に努め, 国民および国家の安寧と繁栄, 人類の福利とその持続的発展に, 知恵をもって貢献する。
木を植えるための基盤整備も実は土木事業なのです。土木を生かすも殺すも私たちの考え方次第です。

老植物生態学者宮脇昭先生はよくおっしゃっています。

「全世界70億人,ひとり1本の土地本来の木を植えれば世界が変わる!!!」

老植物生態学者の理屈ではない地球を愛するその眼は確かなのです。

 

参考文献

・日本〈汽水〉紀行─「森は海の恋人」の世界を尋ねて 畠山重篤著 文藝春秋 2003
・生物学的文明論 本川達雄著 新潮新書 2011
・日本史の謎は「地形」で解ける 竹村公太郎著 PHP 文庫 2013
・「稲むらの火」と史蹟広村堤防 西太平洋地震・津波防災シンポジウム 2003
・歴史の謎はインフラで解ける 教養としての土木学 大石久和、藤井聡著 2018

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