文武両道の工法

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フォレストベンチ研究会 理事 NPO法人 森は海の恋人 代表 畠山重篤

6月2日 第31回森は海の恋人植樹祭が開催されました。好天に恵まれ全国から1500人を超える参加者で、岩手県室根町の矢越山は賑わいました。31年間ほぼ快晴(1,2回は小雨もありましたが)で、一度も中止したことはありません。“牡蠣じいさん”の自慢です。思い返せばこのシーズン、旧暦5月の節句と重なります。子供の頃 どこ家にも“こいのぼり”が舞っていました。梅雨直前のわずかな隙間が、31年の青天を支えてくれていたのです。

第31回 森は海の恋人植樹祭 開会式

森は海の恋人植樹祭は平成元年のスタートです。文字通り平成と共に活動を続けてきました。昨年、8月、皇居でのお茶の会にお招きいただいた折、両陛下から、“この運動は平成を代表する運動でしたね。”とお声をかけて頂き涙しました。国家イベントである、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会にご出席の両陛下は、漁師が山に木を植えることの本質をご理解して下さっている数少ないお方です。縦割り行政のイベントは、森と海は別物という前提で開催されています。

平成6年、皇居にお招きをいただいた折、北海道大学教授(当時)松永勝彦先生の森と海との科学的なつながりについて、ご説明させていただく機会をいただきました。両陛下は、漁師の私の話に御関心を示されたのです。そして、その後、全国植樹祭での御言葉で、“今日、ここに木を植えることの意味は、陸側の環境保全、ということだけでなく、海の生物を育むことにもつながります”と述べられたのです。

時代は令和になりました。“令和にちなんだコンセプトは”と皆で考えました。そして新天皇を寿ぐという意味を込めて、“あずさ植樹祭”としたのです。と言いますのも、新天皇陛下のおしるしの木は“梓”だからです。天皇のおしるしに、なぜ梓か選ばれたのでしょうか。

梓は元々弓をつくる木として昔から知られています。撓りがあって折れにくいという性質は、弓の材料として最適です。奈良の正倉院に納められていることでも有名です。令和の元号の源となった万葉集にも、“あづさ”を枕詞にした歌が沢山記されています。撓りがあって、折れにくいという性質になぞらえ、強靭な心をもって、どんな困難にも負けないという願いが込められたと思います。漁師にとっても船を漕ぐ櫓の材料として、かけがえのない木です。青森県境から岩手県宮城県北にかけての太平洋岸。雪の少ない山地に生えています。岩手県の宮古港が、その集散地として有名です。梓は水に沈む沈木なのです。浮かぶ木では水を掻けないのです。万葉集を開いて新発見がありました。

 しび突くと 海人の灯せる いさり火のほにか出ださむ 我が下思い(したもい)を

私の暮らす気仙沼では、昔から鮪(まぐろ)のことを”しび”と呼んでいます。鮪立(しびたち)という地名もあるのです。近くの縄文遺跡から、鮪の骨が大量に発見されました。骨の大きさから、200キロ級だと言われています。どんな漁法で獲ったのか謎でした。”しび突く”、(銛(もり)で突いたのです。)銛は鹿の角だと思われます。鮪を突く銛竿は、梓です。今でも、メカジキを突く、突きん棒漁の銛竿(そ)は梓の棒です。丈夫で、適度な重さがピッタリなのです。

梓には、もう一つ深い意味がありました。本を出版することを”上梓する”と言いますが、疑問がありました。上梓の梓は、字を彫る版木であることは想像できますが、あまりにも固い木なので首をかしげていました。ところが、漢和辞典を引くと、日本の梓と中国の梓は、別物であることが判明したのです。中国の梓は、皇帝の柩を造る木で、加工しやすい木なのです。もちろん版木として最適です。木の中で最も位の高い木であることを知りました。

版木ということは、学問、知識の木でもあります。文武両道という言葉がありますが、梓には文字通り”文武両道”という意味があったのです。

栗原さんと出会ったのは平成12年です。我家の庭の後と前の崖に設置されたフォレストベンチは、度重なる大雨、地震、津波に耐えて建全です。それは、梓のように撓りがあって折れない構造だからです。そして、何より“法面を森”にするというコンセプトが素晴らしいのです。文武両道の工法ではありませんか。

梓の苗を植樹する筆者