裸になったサルの行く末

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フォレストベンチ研究会 自給シニア会 会員 公文國士

霊長類、つまりサルの仲間はヒトを含めて447種類いるそうだ(「自然への窓」松沢 哲郎、京都大学高等研究院特別教授、2018年10月7日、日本経済新聞掲載)。人類としてただ1種しか生き延びられなかったヒトに比べて、なんと盛況なことか。ただ生息地は、中南米、アフリカ、インド、日本を含む東南アジアの熱帯付近の限られた地域にしか分布していないという。冷涼な地域、北アメリカ、ヨーロッパにはいないそうだ。しかも国名を冠したサルと限定すれば、それはニホンザルだけだそうである。数種類のサルたちが生息するインドや中国も、国名を冠したサルはいない。また、ニホンザルは、比較的冷涼であると思われる青森県にまで定住する。ここはサルの生息地としては北限であると聞いている。

体毛の殆どを捨てた(実は体毛が極めて細く短くなったためにそう見える)ヒトは衣類を考案し、酷寒でも生存を可能にした。それに対して、体毛を保持したサルたちは、意外にも熱帯・亜熱帯地域とその周辺以外に生息範囲を広げていない。

 それではヒトはなぜ体毛を捨てる必要があったのだろうか?その理由としては、発汗作用を活発化することによって、体温調節を容易に行うため。とされている。何しろ酷暑のアフリカ大陸である。発汗には体毛は邪魔物だったのだろう。体毛を失った代わりに、強い日差しからむき出しになった皮膚を守るために、ヒトは黒い肌を手に入れた。約120万年前のこととされている。(「絶滅の人類史」 なぜ「私たち」が生き延びたのか 更科 功、NHK出版新書)。

体毛喪失もある特定の遺伝子の働きによるものだが、この役割を担う遺伝子は実に律義に仕事をこなす。おかげで、薄毛、ハゲの被害を受ける者が数多く出現している。私もその被害者の一人である。少しは怠けてくれたほうが助かるのだが。

化石記録から見た場合、サル、特にヒトに近い関係にあるチンパンジーとヒトの大きな違いは、上記の体毛の問題に加えて、直立二足歩行と犬歯の縮小がある(前掲「絶滅の人類史」)。ちなみに直立二足歩行と二足歩行は、全く違うそうだ。二足歩行は、鳥類やカンガルーなど他の動物でも見られる。それに対して,体幹を直立させて歩き、停止すれば頭が足の真上にくる状態。これを直立二足歩行という。ヒト以外にこの歩き方をする動物はいない。このおかげでヒトは脳を発達させ、高い知能を得た。犬歯の縮小は、攻撃性の大幅な緩和によって生じた結果だという。

 人類が誕生したのは、現時点ではおよそ700万年前とされている。地球の45.4憶年の歴史から見ると、ほんのごくわずかな時間しかたっていない。それでも現在のような高度な文明と文化を作り上げた。極めて優れた能力を持っている生物である。それが時には信じられないほどの「おバカ」なことをしでかす。

ニホンザル

 2018年11月28日、とんでもないニュースが飛び込んできた。中国の南方科技大学(広東省深圳)の賀建奎(が・けんけい)副教授が行った「ゲノム編集」を施した受精卵を使った双子の誕生である。遺伝子組み換えの技術は、農産物、養殖魚、一部の家畜などに使われていると聞く。しかしそれは十分な安全性を確認したうえで行われている。人間に対しては、種の存続に重大な影響を与えるものとして強く自制してきた。その禁を破ったわけである。しかし誕生させてしまった以上、処分するわけにもいかない。成長しても子をもうけさせて良いものかどうか、実に悩ましい。いずれにしても、この双子は厳しい監視の下

でこれからの人生を過ごさなければならない。いらぬ重荷を背負わせたものだ。

 1998年公開された「ガタカ(GATTACA)」という近未来を描いたSF映画がある。新生児は受精段階で遺伝子操作を行われ、遺伝子的に優秀な人材のみを選別した。一方、遺伝子操作を施さなかった子は下級階層の身分となり、職業も制限される。遺伝子的な優劣のみで上級、下級の2分化された社会である。

 また、2017年度ノーベル文学賞受賞作家、カズオ・イシグロ氏の作品「私を離さないで(Never Let Me Go)」では、臓器移植の為だけに生かされるクローン人間を描いている。生殖機能だけを外された以外は、全く通常の人間と変わらない彼らは、限られた回数の臓器提供をした後、処分される。

上記はいずれも十分に起こり得る話である。営々と築き上げられた自然の法則は、安直に無視すべきではない。

 フォレストベンチ工法は、自然の摂理に叶ったものといえます。100年の時を経れば、間伐材等での化粧張りは朽ち、土に戻る。内部のアンカーも朽ちて自然の状態に戻る。外観上は、人の手が入ったものとは思わないでしょう。さらに時を経れば、相当厳密な調査でもしない限り、人工物である痕跡は見つけられないでしょう。植樹した樹木の根が、しっかりと大地を支えるまでの力をつける迄の猶予期間、これを作り出すための工法とも言えます。つまり自然への回帰を目指した工法なのです。